赤々舎で予約していた
奥山由之さんの新作写真集
『flowers』が届いた。
花をモチーフにした写真集ではあるが、
ただ単に「花がきれい」では終わらない、
様々な感情が沸き上がってくる写真たち。
写真集に先駆け、昨年2020年2月に、
PARCO MUSEUM TOKYOで行われた展覧会、
「flowers」にて撮影した写真と併せて、
一読した感想を記します。
『flowers』の写真は、
奥山さんが現在自身のアトリエとして使っている、
亡き祖母が暮らしていた家で撮影されました。
まるで水墨画のように輪郭を無くし、
夢の中にいるかのような
ぼんやりとしたイメージで切り取られた花の写真。
奥山さん自身があとがきにて、
「懐かしさと、少しの後悔を舌に滲ませて、
ゆっくりとシャッターをきる。
(中略)
祖母との対話。
と、僕の顔。」
と語るように、被写体である花を通して、
別の何かと対話しているかのように感じる瞬間が
確かにあった。
写真集の中には花以外にも、
キッチンや書斎、寝室など、
お祖母さんが生活していたであろう
部屋の写真が時折差し込まれる。
そのどれもが、
家主を無くしてしまった部屋に、
まるでポッカリと穴が空いてしまったかのような
空虚な寂しさを感じた。
各部屋には、生活用品や本、写真などが置かれ、
誰かの生活の痕跡はあるものの、
それらの所有者は、もうそこにはいない。
時が止まってしまった部屋から感じる大きな喪失感。
そんな、時折チラつく死の影と
そこに咲く、今を生きる花の生命力の対比が、
この写真集の大きなテーマに
なっているように感じる。
この写真集を読み進めるうちに、
自分が昔住んでいた家のことを思い出した。
もう戻れない昔の家のことを思い、
ノスタルジックな感傷に浸りながらページを捲る。
こんな感覚は、
PARCOでの写真展の時には感じなかった。
もちろん内容が違うので当たり前ではあるが、
やはり写真展で鑑賞するのと、
写真集をじっくり見るのとでは、
同じ写真を見ても
感じ方が全く違うなと思った。
写真の面白いところは、
受け手の分だけ正解があるところ。
また、受け手のその時の精神状態によっても、
感じ方は違ったりもするのだから、
正解は何通りもある。
写真集にはもちろん文章による解説などは無いから、
写真家が何かを思って切り取った写真を、
読み手側が紐解かなければならない。
写真から意図を紐解いていく作業が好きだ。
もしかしたら自分が感じた気持ちが、
作者の意図とは全く違うものかもしれない。
でも、それでいいと思う。
見る人の解釈が、その人にとっての正解であれば、
それが一番の写真の楽しみ方だと思うから。
『flowers』は、
カメラを媒介としたお祖母さんとの対話であり、
それを見る僕たちにとっても、
もう会えない人との思い出や
失われた記憶を呼び起す
タイムカプセルのような作品である。